宇宙はメッセージ送ってくる

自分でもここに舵切ったらいけないってところに舵きったら
お坊さんが二人、超宗派で話してた、臨済宗真言宗、だった
これはストップって思った時、
人がバタバタ倒れた、おばさんが一ヶ月に、二回も救急車で病院に運ばれて行った、難病のおじさんが体調を崩したり。
やっぱり危ない、走ったらダメって時、
黒人の女の子に勇気出して拙い無茶苦茶な英語で話しかけたら、彼女はスウェーデンから来ていて、人口血液の研究してたり、すぐ後でフィリピン人の2人組の女性飢えた目で見られた
宇宙は、色んなメッセージを私たちに送ってくる、この怠けな私に危険信号を送っている。

山に住む猫

ミケ…
山に住む猫は
自然に育まれて
野性の目をきらっと輝かせても
散歩の来る人たちに見守られて
毎日困ることなくご飯をたべ、ぷっくり太っていても
落ち葉の上を自由闊達に駆け回っていても
どこかけなげだ。
こちらから、彼らを見ると
あちら側の世界から、私たちを眺め返す




白菜がたくさん

 きょう、白菜をもらった、これで家に白菜が三玉もあることだから、キムチの素をささっと買いに行って、夏のうちに買っていた和歌山の梅酢と柚子の皮をへいだのとで、漬物を2種作った、梅酢なんて梅と塩のごく単純な物で出来ていて酵素も含まれている、さも健康そうな調味料ときざむ生の白菜だけで、食材の新鮮さと質さえ選べば、割合美味な保存食漬物が、想像するより簡単にできるから嬉しい。
 白菜と言うと、多くの時を過ごした沖縄に白菜が植えられているのを見たこともないし、地場野菜を扱うファーマーズマーケットで、沖縄産のラベルの貼られた、よく南国で育ちましたね、というくらい小さくかわいい白菜を一度見たか、見ていないか、もちろん冬場になるとスーパーには本土から運ばれて来た寒さの中でしっかり育った立派な白菜を容易に手に取ることができるのだが
 でもやはり、時期が来ると一年分のキムチを漬ける韓国の白菜の栽培レベルは多分、日本よりも上回るんだろうなーと、テレビの食番組を思いだしつつ、
沖縄では、キャベツが白菜の様にここで良く育ち、収穫時期になると、何玉もキャベツが集まってき、食べ切れないほどで、近所の畑でも蝶々がキャベツの上で舞っている光景をよく見る、お馴染みの野菜だった、そして日本にいる時よりも沖縄にいる時の方がお好み焼きをよく作った、
しかし、結球葉野菜は、なんと保存が利き、葉緑素も少なく葉野菜らしからぬ葉野菜なのだと思う、人参、たまねぎ、ジャガイモみたいに合理的な面がある。


ふとしたことから玉置神社へ

きりりと神韻漂緲とした流れの中に散見する野の華々は謎めいた咲き方をし、静かな霊気に包まれてその威容を保っていた

ふとしたことで思い立ち、翌日に、玉置神社へ

  長〜い長〜いうねうねする幾つもの山道を越え、玉置山の表面を車はくるくると旋回し飛翔してしまうかの様、山の上部で、とろーっとした深山幽谷の世界を木々の作る仄暗いヴェールを通して眺めると、夏の気配も感じる光の具合の季節の筈なのに。全身をつららで刺されたかのような感覚、久方にしーんと、そして、うっとりともしていた。

 平たい土地において見る、田んぼの雑草や花壇や花瓶を飾ろうとする花たちと違い、彼方此方に散見される野の趣に溢れる花々は、あたかも人間によって記号やありきたりの美しさの意味を付与されることを拒んでいるようにも見える、

「これらは花である。」と、私は言い切ることは出来なくて、“これらは花なのかしら?” と、自らの内に問いかけを繰り返すばかり。

 騒がしいお喋りのどうしても漏れ聞こえてくる俗世の場にもどってくると改めて、深い静寂に身を漂わせることへの深刻な欲求や必要性を感じる、

商業施設へ行きさえすれば、此方から何も言わずとも「買って欲しい」、と言わんばかりの媚態を示したり、主張をせんとする、平明なプロダクトに手を伸ばすことも出来る、ディズニーやハリウッド、日本のキャラクターの提示する現代の神話やおとぎばなしの世界に耽ることも、アイディアやヒントを発見するためのいい手立てだとも思いますが、それでは物に溢れすぎて、物に使われてしまって萎れてしまいそうになることもある。

時には、権力の場所から隔たって、心のなかの空漠とした感覚を清浄さで満たすということもいいことではないのかしら、と思う、それは力を持つ側から与えられて凝り固まってしまった、物の見方や価値基準に揺さぶりをかけ、個々が本来持つインスピレーションや創造性の泉にアクセスすることを容易くするのだから、






韻律と理性と感情、そして狂乱

不文律の不言律
    まじない唱えれば、
律儀さの律は解けて
      ゆくのかしら?
この不文律のおばかさん。


経済や技術が発達しているのに、不気味な空気を醸成している日本の奇妙さに爽やかな風を吹かせてみたかったのです。どうも私は空気読みは苦手、いい子ちゃんはできません、私は向こう見ずの馬鹿です、ごめんなさい。
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噴き出でる泉のように

 Beginning being

 

 

夜だ。今、噴き出でる泉がすべて、声を高めて語る。そして私の魂も、噴き出でる

 ひとつの泉だ。

夜だ。今、愛する者のすべての歌が、はじめて目覚める。そして私の魂も、一人の愛  

  する者の歌う歌だ。

鎮まらないもの、鎮めることの出来ないものが、私の中にある。それが声を高め

 ようとする。愛にこがれる思いが、私の中にある。それは自ら愛の言葉を語る。

私は光だ。ああ、私が夜であるなら! だが、私が光に包まれている

 こと、これが私の孤独なのだ。

                    ニーチェ「夜の歌」より

 

 

 

 

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記憶されたことのない時から、今に至るまで尽きることを知らない泉のように、日々、湧いてくるものを、留まることも澱むこともなく書き連ね、根源にたどり帰る場所。

例え孤独で困難であったとしても、根源の場所の命をを蘇らせる水ををみんなと分かち合いたいという望み、


写真は沖縄の泉(ガー)ふんわりとよもぎやのびるが茂るこの泉の近くに先史時代の遺跡がありジュゴンの骨で蝶を象った美しいシンボリックな遺物、蝶形骨器が見つかっている。きっと先史時代の人たちも豊かさを求めてこの場所にやってきたのね